こどもの日(端午の節句)の由来と行事食
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更新日:2019年04月05日
5月5日は「こどもの日」(端午の節句)。柏餅を食べたり、こいのぼりや兜を飾ったりしますが、その由来をご存知でしょうか?今回は子どもの日の食べ物や、その由来をご紹介します。
端午の節句の由来は?
「端午の節句(たんごのせっく)」は「端」は「はじめ」、「午」は「午(うま)の日」という意味で、本来は「五月初めの午の日」という意味。
旧暦では5月が午の月であったこと、そして「午」は「五」と同じ音でもあるころから、5が重なる5月5日を端午の節句として祝うようになったそうです。
当時の旧暦5月(現在の6月頃)は、高温多湿の時期。伝染病や害虫被害も多く、悪月とされていました。
平安時代になると中国から、5月5日に菖蒲(しょうぶ)で作った剣を軒下につるしたり、菖蒲湯に入ったりして邪気を払う風習が伝わり、やがて民間に広く普及。
鎌倉時代には武家社会が発展したことで「菖蒲」が武勇を重んじるという意味の「尚武」や「勝負」につながることから、武家の男の子の成長を祝う行事として浸透していったそうです。
もともと日本でも旧暦5月には「皐月忌み(さつきいみ)」と称し、田植えを担う若い女性たち(早乙女と呼ばれていました)が、5月5日や前日にヨモギや菖蒲でふいた家にこもって物忌みし、穢れを祓い清めて田の神を迎えるという行事が行われていたとされています。
端午の節句は日本の皐月忌みの風習と、中国の端午の節句が結びつき、現在のようになったと考えられているのだそうです。
こいのぼりと武者人形の由来は?
魚の鯉の形をかたどったのぼり「鯉幟(こいのぼり)」。
鯉は滝を上って龍となるといった故事があるように、出世のシンボル。子どもたちに出世して欲しいとの願いをこめて、こいのぼりとして掲げられるようになったそうです。
こいのぼりにも描かれることが多い「鍾馗(しょうき)」は、疫病を追い払うという神様で、子どもを疫病から守りたいという願いが込められています。
また、一番上の吹き流しは、古代中国の陰陽五行説に基づいて五色の配色となっています。
そして「武者人形」は鍾馗がモチーフにされることも多く、子どもたちが強く逞しく成長してほしいとの願いが込められています。
端午の節句の食べ物「柏餅」と「ちまき」
端午の節句の行事食として欠かせないのが「柏餅(かしわもち)」と「粽(ちまき)」。
ちまきはもち米などを練ったものを茅や笹の葉などで包み蒸した円錐形のお餅で、そのルーツは中国の故事から。
戦国時代の武将・屈原が、戦に敗れた際に5月5日に汨羅江(べきらこう)に投身。その霊を弔うために屈原の姉がちまきを作って、川に投げ入れたのがはじまりと言われています。
一方、柏餅は上新粉で作るお餅で餡を包み、柏の葉で包み蒸したもの。
柏の木は冬になって葉が枯れても、次の新芽が出てくるまで落ちないことから、後継ぎが絶えない・子孫繁栄のシンボルとして使われていると考えられています。
端午の節句と菖蒲
端午の節句のしきたりとして、「菖蒲湯」や、菖蒲の根や葉を刻んでひたした「菖蒲酒」や「あやめ酒」を飲む風習があります。
菖蒲には打ち身などに効果があり、菖蒲湯に入ると疲れがとれるとされています。また、解毒作用があることから胃薬や創傷の民間薬として使われたことも。
菖蒲の葉が剣のような形をしていることから別名「水剣草」と呼ばれ、その形と強い香りから邪気を払うとされています。
江戸時代には「菖蒲打ち」といって、菖蒲を束ねて地面をたたき、音の大きさを競う遊びも行われていたようです。
菖蒲湯の作り方
菖蒲湯の作り方は各家庭で様々で、菖蒲と一緒にヨモギを束ねる場合もあります。ここでは作り方の一例をご紹介します。
そのまま入れる場合
- 菖蒲の葉と茎を束ねゴムでしばる(10本程度が目安)。
- 浴槽に菖蒲を入れてお湯を入れる。
沸かし湯の場合は、水から入れて沸かす。
きざんで後から加える場合
- 菖蒲の葉を細かくきざみ、タオルや綿の袋の中にひとつかみ入れる。
- 袋を洗面器などに入れ、熱湯を注いで10分ほど置く。
- 袋と抽出液を浴槽に入れる。
今回は端午の節句の由来や食べ物、しきたりについて紹介しましたがいかがだったでしょうか。
現在国民の祝日となっている「こどもの日」は、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日として、1948年に定められました。
時代が流れても、子どもの健やかな成長を願う気持ちは変わらないもの。ぜひ家庭に取り入れてみてはいかがでしょうか。